折々の記

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日々見たこと、 感じたこと、気づいたことをメモする

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暑い盛りの名古屋場所が23日の日曜日、幕を閉じる。
終わってみれば、白鵬が39回目の優勝を果たす。
平成の大横綱である。
上位陣が苦戦するなか、平幕の碧山が大活躍、
あわや白鵬との優勝決定戦になるのではとの期待も。
碧山は2度目の敢闘賞を受賞する。
横綱白鵬に唯一の黒星を与えた新関脇の御嶽海が2回連続の殊勲賞。
今場所会場を大いに沸かしたのが、小柄力士でいろいろな手を使う
技巧派の宇良と石浦、特に宇良は人気者。

怪我などで途中休場したのが稀勢の里と鶴竜の両横綱、
大関の照ノ富士、それに人気抜群の遠藤の4力士。
しっかり養生して、次の場所に備えてもらいたい。
完全に相撲を取れる体調でなければ、本場所には出場すべきではない。

恒例の来場者と有料会員による「敢闘精神あふれる力士」が公表されている。
毎日1位、2位、3位の力士が発表されているが、
1位に3回選ばれたのが宇良と北勝富士、2回選ばれたのが嘉風。
1位から3位までの合計回数で見ると、
トップは宇良の8回、次いで御嶽海と北勝富士の6回、嘉風と石浦の4回、
高安と栃ノ心の3回と続く。
因みに横綱の白鵬と日馬富士は1回づつ選ばれている。

新大関の高安は両横綱に敗れたものの、9勝6敗の成績。
新関脇の御嶽海は上位陣を相手に勝ち越しを決める。
その一方で、大関の豪栄道、関脇の玉鷲、小結の琴奨菊は負け越し。

ほぼ毎日テレビ観戦していたが、会場は如何にも暑そう。
とにかく団扇や扇子が目に付く。
登場する力士も汗びっしょり。
今場所会場に姿を見せた有名人をテレビカメラがとらえる。
すっかり名を挙げた将棋の藤井4段や
フィギュアスケートの浅田真央さんなどが映し出される。
テレビ中継のゲストには、宮崎美子さんが登場。

次の場所には、4横綱、3大関揃っての活躍を期待したいもの。



# by toshi-watanabe | 2017-07-25 14:42 | 季節 | Comments(0)
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葉室麟さんのエッセイ集「古都再見」を読み終える。

葉室さんは2年前の2月、仕事場を京都に移して執筆活動をされている。

学生時代に京都を訪れておられるので、再見と題されたのだろう。

京都近辺を散策しながら、感じられたことを書き留められ、

「週刊新潮」の20158月から201612月まで連載された

エッセイをまとめられ、今回単行本として出版された。

(新潮社 ¥1,600+税)

京都の観光ガイドブックとは全く趣を異にしている。

人生の幕が下りる、その前に見るべきものを見ておきたいと、

少々大げさな言い方だが、

訪れた先で、かっての出来事に思いを馳せ、

或いは、その時代の登場人物の生きざまを考えたり、

著者流の歴史的思索をうかがい知ることができ、

京の街角から日本史の旅へ、大変興味深い読み物となっている。

68編のエッセイで構成。

1章は「薪能」と題したエッセイ。

夏祭りの季節、6月の京都、平安神宮での薪能の話。

能、狂言が演じられ、最後は「小鍛冶」でしめる。

能を見物した後、小さな店で酒を飲みながら、

著者が思いだしたのは山本兼一さんのこと。

それは「いっしん虎徹」や「おれは清磨」などを主人公にした

山本さんの作品があり、刀を鍛え上げる刀工の

火が噴き出るような気迫は山本作品ならではのもの。

著者が初めて直木賞候補になった時、「利休にたずねよ」で

山本兼一さんが直木賞を受賞した思い出に触れる。

「大徳寺」と題したエッセイでは。

紫野にある大徳寺の茶会に招かれる。

茶道と関わりが深いことから「大徳寺の茶面」と呼ぶ。

三門に千利休の木像を置いて、豊臣秀吉の怒りを買ったことで知られる。

千利休始め、山上宗二、古田織部など名だたる茶人が

非業の死を遂げたのはなぜだろうかと、疑問を抱く。

著者は茶をいただきながら、一杯の茶に心の平穏を求める

茶人が修羅の最期を遂げる姿に思いを馳せる。

「漱石の失恋」と題したエッセイでは。

鴨川に沿って京都の市中を流れるのが高瀬川。

罪人を乗せて大阪へ向かう「高瀬舟」、森鴎外の短編で知られる。

鴎外と並び立つ文豪、夏目漱石も高瀬川の近くの宿に

滞在したことがある。

「虞美人草」の取材などで4回、京都を訪れている。

随筆「硝子戸の中」を書き終えた直後、4度目の京への旅。

宿は御池通木屋町の旅館「北大嘉」。

友人の紹介で、祇園の茶屋「大友」女将、「御多佳さん」と知り合う。

文芸の素養が深く、書画、骨董にも詳しい磯田多佳で、

谷崎潤一郎や吉井勇とも親交があったという。

漱石、48歳、多佳、36歳、二人は天神様(北野天満宮)に

梅を見に行こうと約束したのだが、漱石はすっぽかされる。

色々と興味深い話題が次から次と登場するのだが、

最後にもう一遍、「檸檬」を紹介したい。

ご存知、梶井基次郎の名作「檸檬」の舞台となったのが、

京都の書店、丸善である。

丸善の書棚にレモンを置いて立ち去るというのが小説の最後の場面。

梶井の処女作でもある。

梶井が京都に居住したのは、大正8年、第三高等学校に入学し、

肋膜炎で休学した後、大正13年卒業するまでの5年間。

借金が重なって下宿から逃亡し、自殺を企てるなど

放蕩無頼の時期を過ごした。

梶井は、荒れることで人間の真実を探ろうとしていたのではないか、

神経を張り詰めて人生と対峙する緊張感から疲労困憊し、

時に逆上して暴走を重ねたのだろうと、著者は考える。

ところで、京都の丸善は平成17年にいったん閉店。

この時、文学ファンたちが閉店を惜しみ、「檸檬」を真似て、

店内にレモンを置くのが話題になった。

そして平成278月、10年ぶりに河原町通三条下ル山崎町の

商業ビルで丸善が再開。

再オープンの日は、店内にレモン専用のカゴが置かれ、

「レモンを置きたい」という人の要望に応えた。

著者は丸善を訪れる。

店内で新潮文庫の「檸檬」を買い求め、

店内に併設されたカフェに入り、紅茶とレモンケーキを注文。

気軽に読めるエッセイ集である。




# by toshi-watanabe | 2017-07-21 09:04 | 読書ノート | Comments(0)

初夏の群馬倉渕の山里へ

7月9日から16日まで約1週間、群馬倉渕へ出掛ける。
丁度お盆の季節でもあり、お墓参りに立ち寄る。
少々遠回りになるのだが致し方無し。
千葉県松戸市にある東京都管理の八柱霊園。
お彼岸やお盆には車の通用門が早朝早めに開く。
ところがお盆にまだ間があるせいか、7時ちょっと過ぎに到着
したものの、まだ開門されず、道路上に車列が出来ている。
通常の7時半開門とのこと、しばらく待たされる。
とにかく広い霊園で、正門から我が家の墓地まで歩くと、15分かかる。
今は車で来られるが、運転できなくなると電車利用、大変である。

墓地のまわりをきれいに掃除し、お参りを済ませる。

10年近く前だったか、高崎市に合併されたものの、
依然として村のままの倉渕である。
谷川に沿って少し山に入ったところ。
都会より涼しいはずなのだが、今年は暑さが厳しい。
緑の風が吹き抜けると涼しく心地よい。
風が入って来なくなると、途端に蒸し暑くなる。

火曜日だったか、午後から大雨となる。
3時半までの1時間当たり113ミリの記録的な降雨と報じられていた。
後はほとんど雨が降らず、カンカン照りの日が続く。

草花が色濃く咲き誇っている。

五色葉蕺(ゴシキバドクダミ、カメレオンとも呼ばれる)
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八重蕺(八重のドクダミ)
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白と赤の酔仙翁(スイセンノウ、フランネル草)
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下野(シモツケ)
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瑠璃草(ルリソウ、江戸紫、ストケシアとも)
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白花鋸草(シロバナノコギリソウ、羽衣草とも)
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河原撫子(カワラナデシコ)
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珍しく山百合(ヤマユリ)の花が咲く。
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蛍袋(ホタルブクロ)がまだ咲いている。
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岡虎の尾(オカトラノオ)
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昼咲月見草(ヒルザキツキミソウ)
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一輪だけ山苧環(ヤマオダマキ)が残っている。
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紫苑(シオン、十五夜草とも)
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唐菖蒲(カラショウブ、グラジオラス)
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山紫陽花(ヤマアジサイ)
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花魁草(オイランソウ、フロックス)
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姫檜扇水仙(ヒメヒオウギスイセン、クロコスミア、モントブレチア)
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紫露草(ムラサキツユクサ)
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捩花(ネジバナ)
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合歓木(ネムノキ)の花
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木天蓼(またたび)の白い葉
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藪柑子(ヤブコウジ)
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夏椿(ナツツバキ)
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矢車草(ヤグルマソウ)
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あっと言う間に過ぎたというのが実感の1週間。
新聞には一切触れない1週間でもあった。




# by toshi-watanabe | 2017-07-19 09:31 | 草花 | Comments(2)
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佐藤厳太郎さんの著書「会津執権の栄誉」を読み終える。

著者は、「夢幻の扉」で「オール読物新人賞」を受賞して以来、

注目されている新進の作家である。

文芸評論家の評価も高く、直木賞の呼び声も出ている。

東北会津の名家、芦名氏の滅亡までを熱く、克明に描いている。

芦名氏は、会津守護だが、鎌倉幕府の御家人、三浦氏の後裔。

四百年近くの長きにわたり、会津を領有してきた名跡だ。

その芦名家に、凶兆が現れた。

十八代当主盛隆が、家臣に襲われ惨殺されてしまう。

その後を継いで生後一ヵ月で当主となった一子、

亀王丸隆氏も、わずか三歳で疱瘡を病んで没した。

相次ぐ当主の死により、芦名家嫡流の男児が絶える。

残された遺児に、十七代当主盛興の娘の岩姫がいた。

岩姫の婚姻相手として婿養子を他家から迎え、

当主に据えることになった。

ここから家中の軋轢が生まれる。

この小説の発端でもある。

常陸の佐竹義重の次男義広か、伊達政宗の弟小次郎かで、

家臣団が対立したのだが、佐竹義広を当主に迎えることに決まる。

ただ問題なのは、義広がまだ幼さの残る十二歳の少年だった。

一門の家臣が集まって評定の上決めたことだが、

その決定を下した芦名家家臣筆頭の金上遠江守盛備の家臣団と、

伊達小次郎を強く推した猪苗代(弾正)盛国との間では、

しこりが残る。

盛国は芦名氏の血族で、芦名家重臣であるとともに猪苗代氏の当主。

その一方では、義広の入嗣に伴い、佐竹から来た家臣団とも

衝突が生じて、家臣同士の殺傷沙汰にまで発展する始末。

やがて伊達政宗が会津に侵攻、猪苗代盛国が寝返り、

佐竹からの支援も思うように行かず、

最後の砦となった家臣筆頭の金上盛備も戦いに敗れ、

遂に芦名氏は終焉を迎える。

「湖の武将」

「報復の仕来り」

「芦名の陣立て」

「退路の果ての橋」

「会津執権の栄誉」

5章で構成されているが、

これらは20138月号から201611月号まで、

「オール読物」に掲載された。

この5章に、書き下しの「政宗の代償」が加えられ、

今回「会津執権の栄誉」として出版された。

(文芸春秋 ¥1,450+税)

「政宗の代償」は、芦名氏が滅び、

伊達政宗が会津を己の領地にしてからの話である。

北条氏の立てこもる小田原城攻めで全国各地の諸大名が

秀吉のもとに馳せ参じ、その数22万の兵力が集結している。

様子を見るかのごとく、腰を一向に上げない政宗に

秀吉はいらいらしている。

家康が間に入り政宗を説得する。

政宗は片倉小十郎を伴い小田原へ向かう。

芦名氏を攻め、会津を己の領地としたことは、

関白殿下の惣無事の儀に背く事であり、

政宗は 覚悟を決めて、短刀を隠し持ち、白装束で秀吉の前に出る。

謁見は無事済み、秀吉は遅参した政宗を許す。

占領した会津、安積、岩瀬は取り上げられ、

会津黒川城から退去することになる。

それ以外の本領は安堵され、伊達家の所領は七十万石ほどのまま。

途中からは一気に読んでしまう。

大変面白い小説、お薦めの一冊である。






# by toshi-watanabe | 2017-07-04 08:45 | 読書ノート | Comments(0)

横浜そごう美術館で開催中の「没我20年 司馬遼太郎展」を昨日見学する。
副題として「21世紀”未来の街角”で」。
この特別展は全国を巡回しているようだが、
首都圏での開催は、現在開催中の横浜だけとのこと。
また「横浜開港158周年」にもあたり、横浜関連のコーナーもある。

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展示は、「戦国動乱 16世紀の街角」に始まり、
「維新回天 19世紀の街角」、そして「裸眼の思索 21世紀の街角」と
大きな時代の流れに沿っている。
「あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう」と
問いかけているかのようである。

関東大震災が起きた大正12年(1923)に大阪で生まれた
司馬遼太郎さんは平成8年(1996)に72歳で亡くなられている。
秀吉の時代の伊賀忍者を主人公に描いた
「梟の城」が昭和35年(1960)(私が社会人になった年)に
「直木賞」を受賞される。
その後約36年間、戦国時代から明治に至る時代に登場した
人物に光を当てて数々の作品を書かれてきた。

初版本が並べられ、作品のテーマとなっている人物や時代背景に関連する
資料が作品の自筆原稿と共に見る事が出来る。
因みに、幻の自筆原稿と言われる「竜馬がゆく」の全自筆原稿と
「坂の上の雲」の欠落自筆原稿が最近見つかり、
「司馬遼太郎記念館」で期日限定で公開されると報じられている。
またいくつかの作品の挿絵の原画も見られる。
司馬遼太郎記念館は東大阪市にあり、安藤忠雄さんの設計による。

司馬遼太郎さんは、資料集めへの執念がすさまじく、
一度に何千万円単位という巨額を投じて買い集めたと言われる。
司馬さんが資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底したという逸話。
同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしさんが古書店に出かけたところ、
資料がすべてなかったという逸話もある。

数多くの作品の中から、皆さんもよくご存じのものを列記すると、

「竜馬がゆく」 坂本龍馬と中岡慎太郎(坂本龍馬が世に知られるきっかけとなる)
「燃えよ剣」 土方歳三
「功名が辻」 山内一豊と妻の千代
「国盗り物語」 斎藤道三、織田信長、明智光秀
「関ケ原」 島左近 石田三成 徳川家康(屏風絵巻が展示)
「峠」 長岡藩の河井継之助
「坂の上の雲」 秋山好古・真之兄弟と正岡子規
「世に棲む日日」 吉田松陰 高杉晋作
「城塞」 大坂冬の陣 大坂夏の陣(屏風絵巻が展示)
「花神」 村田蔵六のちの大村益次郎
「覇王の家」 徳川家康
「播磨灘物語」 黒田官兵衛のちの黒田如水
「翔ぶが如く」 西郷隆盛 大久保利通(西南戦争)
「胡蝶の夢」 司馬凌海 松本良順 関寛斎
「菜の花の沖」 高田屋嘉兵衛
「箱根の坂」 北条早雲

いずれも司馬さん好みの人物なのだろう。

「歴史を紀行する」「街道をゆく」など、
散歩・街道シリーズも数多くの作品を書かれている。
横浜も取り上げている。

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海外もニューヨークや欧州にも。
台湾では、学徒出陣の同期生という縁もあって、
元台湾総統の李登輝さんが、現地を案内されている。

子供たちのために書かれた「二十一世紀に生きる君たちへ」が
全文パネルになって展示されている。
胸を打つ、非常に素晴らしい文章である。

(会場内は撮影禁止)






# by toshi-watanabe | 2017-07-01 11:08 | 一般 | Comments(2)

近場の公園にて

普段家にいるとき、日中小1時間ほど近場を散策する。
何か所かの公園に立ち寄る。
すっかり初夏の陽気、緑濃く草花も咲いている。

「もえぎ野公園」の池には睡蓮の花が咲いているが、
池のほとりに半夏生の群生を見つける。

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もう一か所、駅の直ぐ裏側にある公園では、
まっすぐに伸びた茎にアガパンサスとアカンサスの花が咲いている。
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雑草に交じって、モントブレチア(姫檜扇水仙)が3本ほど。

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午前中に出かけると、近所の保育園の幼児たちで公園もにぎやかだ。






# by toshi-watanabe | 2017-06-30 10:35 | 草花 | Comments(2)

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再び「浅見光彦シリーズ」である。


内田康夫著「黄泉から来た女」を読み終える。

浅見光彦シリーズの第111作目である。

20106月から20114月まで、

「週刊新潮」に連載された。

このシリーズで連載というのは珍しい。

プロローグを加えるなど、加筆改訂されて

単行本として新潮社から出版されたのが20117月。

その後新潮文庫として出されている。

最近出たばかりの版の新潮文庫を手にする(¥750tax)。


最初に登場するのが、日本三景の一つ、天橋立。

京都府宮津市府中は天橋立の北側の付け根に位置し、

かって丹後の国国府が置かれていた土地だ。

そこに住むのが、主人公の神代静香で市役所に勤めて3年。

静香の父親一輝は観光船の船長をしている。

母親は静香を産んでほどなくして亡くなっている。

一輝の話によると、静子の母親徳子は地元の籠(この)神社

参詣した夜、太陽が口から飛び込む夢を見て身ごもったとか。

夢の話を籠神社の宮司にしたところ、天照大神の

ご利益があったのだと宮司は明言。

一輝は生まれてきた静香が天照大神の申し子だと信じている。

それで静香は「アマテラスの子」と呼ばれる。

徳子は山形県鶴岡市の出身だが、実家や親類縁者とは

縁を切っている。

面識のない女性が突然、市役所に静香を訪ねてくる。

込み入った内容の話の様子なので、昼休みか仕事の終わったころに、

もう一度来てほしいと伝えるものの、二度と姿を現さず。

その日の夕方、天橋立きっての名門旅館「文殊荘」の女社長の紹介で

静香を訪ねて来たのが、「旅と歴史」の取材で来ていた浅見光彦である。

ところが府中の東方、伊根の海岸で女性の遺体が発見される。

「舟屋」で有名な町である。

その遺体は静香を訪れていた女性と判明し、いよいよ事件が展開する。

光彦と静香は籠神社を訪れ、宮司の海部(あまべ)光彦と面会する。
海部氏八十二代當主、元伊勢籠神社宮司である。

同じ光彦同士、意気投合するのだが、この宮司は実在の人物で、

著者はこの作品を書くにあたり、

宮司から専門的な話を詳細に聞き取っている。

遺体となって発見された女性は、自殺や事故ではなく、

明らかに他殺で、殺人事件となる。

身元が判明し、静香の母親と同じ出身地、鶴岡市羽黒町から

静香を訪ねてきたものと分かるが、何の目的かは不明。

徳子の実家は羽黒山の神域ともいえる手向(とうげ)にある

宿坊「天照坊」、また殺害された畦田美重子の実家は

同じ手向の宿坊「大成坊」である。

静香は置手紙を残して、鶴岡へ向かう。

その置手紙を見て心配になった父親の一輝の依頼を受けて、

浅見光彦は鶴岡へソアラを駆って出かける。

場面は一気に鶴岡市羽黒町へ。

黄泉の国は死者の行くところ。

一説では出羽三山の月山がまさにそこで、手前にある

羽黒山がその入り口。

徳子の郷里、手向は羽黒山の出羽三山神社の門前町に当たる。

複雑な家庭事情が絡み、事件の解明を難しくしているが、

絡んだ糸が次第に解き放されて行く。

過去の行状から犯人と思しき人物が絞られる。

所が土壇場で、光彦は意外な人物を真犯人と、ほぼ割り出すのだが、

その人物は月山へ山菜取りに出かけて、そのまま行方知らずに。

籠神社や天照大神の話、出羽三山での修行に関わる話など、

非常に興味深いし、推理小説としても、もちろん面白い。






# by toshi-watanabe | 2017-06-27 09:54 | 読書ノート | Comments(0)
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内田康夫の著書『「紅藍の女」殺人事件』を読み終える。

本書は199010月、トクマ・ノベルスに書き下された作品で、

その後19946月、徳間文庫として刊行されている。

内田さんの作品として刊行された順番では64番目になる。

今回手にしたのは、最近出たばかりの新装版。

(徳間文庫 ¥640+Tax)

新鋭ピアニストの三郷夕鶴(みさとゆづる)は、

父伴太郎の誕生パーティの日に、

見知らぬ男から父へのメッセージを手渡された。

紙片には、「はないちもんめ」とだけ書かれていた。

夕鶴より一つ年上で、子供の頃から一緒に遊んだ仲の

麻矢の父親甲戸天洞は「叡天洞」という古美術商を営み、

伴太郎とは古くからの知り合いである。

何かと気になることがあり、夕鶴は麻矢を誘って、

以前顔を合わせたことのある浅見光彦に連絡を取る。

新宿の喫茶店で待ち合わせるのだが、麻矢は現れず。

暫くして電話があり、麻矢の父親天洞が急死とのこと。

光彦は遺体に立ちあい、自殺ではなく毒による他殺と判断する。

35年前に、ある事件が山形県の河北町で起きた。

女性が殺害されたのだが、ある男が殺人犯に仕立てられ、

無実の罪を背負って終身刑となり、網走刑務所で服役、

刑期を終えて出所してくる。

当時の判決決め手となったのが、6人による証言。

ある人物を助けるために仕組まれた証言だった。

天洞の殺害は出所してきた男、黒崎賀久男の復讐ではないかと思われる。

更に第二の殺人があり、第三の殺人も予想される。

ところが、黒崎は殺害され、真犯人は別にいたというのが、

この作品のポイントでありストーリーである。

浅見光彦シリーズは、日本のどこかの土地が事件現場となり、

旅情ミステリーと呼ばれている。
内田自身も何回か現地を訪れ、その土地のイメージを作品に生かしている。

今回は、山形県の河北町が登場する。

「雛とべに花の里」としられる河北町は、

かって紅花の集散地として知られ、ここから京方面へ紅花が出荷されていた。

現在も紅花の生産地であり、全国唯一の「紅花資料館」がある。

紅花は山形県の県花でもある。

書著名にある「紅藍(くれない」は紅花の別称。

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因みに紅花が日本に渡来したのは、平安時代。
「源氏物語」に「末摘花」という巻があるが、
この末摘花とは紅花の古い別称である。
山形地方で紅花が栽培されるようになったのは江戸時代中期。
藩の財政立て直しのために始めたのだろう。

上記にも触れたが、本書には童歌を取り入れている。

「はないちもんめ」である。

 ふるさともとめて はないちもんめ

 もんめもんめ はないちもんめ

 ○○ちゃんもとめて はないひもんめ

 ××ちゃんもとめて はないちもんめ

     ジャンケン

 かってうれしい はないちもんめ

 まけてくやしい はないちもんめ

上記は本書に出ているものをそのまま転記したが、

地方によって、若干言い回しが異なるようだ。

この歌詞にある「はな」についてもいろいろな説があるが、

内田さんは、浅見光彦に、「はな」とは紅花のことだと言わせている。

作品から離れてしまうが、紅花を読み込んだ芭蕉の句を二つ紹介したい。

 眉掃き(まゆはき)を 俤(おもかげ)にして 紅粉の花

 行く末は 誰が肌ふれむ 紅の花





# by toshi-watanabe | 2017-06-23 14:04 | 読書ノート | Comments(3)